日本都市計画学会石川賞受賞あいさつ

       
 

石川賞を受賞して
 大震災から10年が経過した。このたび、「阪神・淡路大震災に関する著作およびまちづくり支援活動」により、栄えある日本都市計画学会石川賞を受賞することができた。これまでの研究・支援活動を振り返るとともに、そこに込められた私の思いについて一言述べさせていただきたい。

   
  被災と住宅・生活復興
 私が取り組んできたことは、次の3点にまとめることができる。
 一つは被災から復旧・復興の全過程を通じて「地区」が基本単位になるという観点から、地区レベルで立ち上がることができるのか、できないのかについて、4地区の定点観測調査を行ったものである。この成果は、『阪神淡路大震災 被災と住宅・生活復興』として1冊目の著書にまとめられている。@被災・被害と復旧プロセスを分析している。A震災前の密集市街地の実態と震災での市街地建物・住宅被害の構造を明らかにした。B避難行動と避難生活場所の移動を取り上げ、避難所よりも親戚等への避難が多かったこと、小規模避難所が多く使われたこと等の重要性を分析している。C震災で役立った都市ストック(例えば、井戸が大きな役割を果たした)について考察している。D住宅再建の動向、再建住宅へのアンケート調査、非接道エリアでの再建の遅れと再建困難性を分析している。Eこれまで実態がほとんど分かっていなかった、地域に戻れていない人の生活困難と戻り意向を明らかにした。Fさらに、商店街やケミカル産業など地域産業がいかに被災し、再開・回復したかを明らかにしている。
   第2には復興都市計画事業の評価に関する研究である。面整備の中心になった土地区画整理事業や市街地再開発事業といった法定事業については理論、実態の両面からの研究を行った。それと併せ、局地的に大きな被害を受けた地区に対する小地域での事業も含め、震災復興で使われた全種類の事業に対して追跡調査と評価を行った。
3点目は、私が主に関わってきたまちづくり支援の研究・活動である。具体的には、芦屋市西部地区、西須磨地区、淡路・北淡町富島地区において、それぞれ、カウンタープランの作成やまちづくり支援の実践と研究を行っている。
       
  復興都市計画事業・まちづくり
 これら、第2、第3の点については、『阪神淡路大震災 復興都市計画事業・まちづくり』として2冊目の著書にまとめている。
 こうした一連の研究により明らかになった点は、次のように結論づけることができる。
 第1は、地域による階層性の問題である。被災・被害から立ち上がり、避難生活、役立った都市ストックといった、復旧・復興の過程にわたって地域における階層性が貫かれた。高度成長期に開発された低湿地や粗雑に建設された住宅がより被害を大きくした。井戸の存在にも地域による多寡があり、復旧・復興にあたっての住宅再建でもそのスピードや住宅の質に違いが出ている。長田区はその象徴的な地域であり、ケミカル産業の住工混在地域である神楽地区などは、復旧・復興過程でも仮設市街地的な状況を呈した。
 また、公費解体と修理・修繕の問題でも課題を残した。公費解体は、社会的ムーブメントととして働き、本来修理・修繕できた住宅の壊しすぎの問題を生じた。それは解体・廃棄のために膨大なエネルギーと費用を要し、他方で元の地域にすみ続ける条件をなくしたり、経済的負担を強いることになった。
 第2は、復興都市計画事業の問題であり、権限の強い法定都市計画からより柔軟な都市計画制度への転換の必要性である。今回の震災は、まだら被害といわれ広範囲の地域が全焼・全壊等で被害を受ける一方、局地的に大きな被害を受けた地域が多数あった。面整備の中心になった土地区画整理事業、再開発事業などの法定事業、生活街路整備に重要な役割を果たした任意事業である密集住宅市街地整備促進事業、修復型住宅地区改良の芦屋市若宮地区の事業、神戸市湊川地区のミニ区画整理事業、さらに震災後神戸市独自で制度化した小地域での住宅再建のための生活街路整備など、実に多様な事業が展開された。
 法定事業の区画整理は、都市計画決定の強行の問題から住民と行政が対立しつつ事業が進み、新長田駅南地区の大規模再開発は、震災10年を前にしても展望がでていない。それに対して、より柔軟な事業では、地権者や居住者の評価も高かった。復興都市計画から学ぶべき教訓は、従来の法定都市計画・事業からより柔軟で多様な都市計画・事業へのパラダイム転換である。
法定事業と比較したこれらの事業にみられる共通点は、強制力に対する住民合意の重要性、全面改造に対する部分改善(修復)の必要性、エリアの大規模化より小規模の優位性、生活への大きい影響と比較した小さい影響のもつ適用性、事業期間の長期化に対する迅速性などである。震災は、わが国の都市に存在する膨大な木造密集市街地の改善が、将来に向けて大きなしかも困難な課題であることを示した。改善のためには多様な選択肢が必要である。整備水準の考え方についても、区画整理を100点とすれば、70点、60点の改善が無数ともいえる地区で行われる必要がある。震災復興の都市計画も本来そうあるべきだったのである。
   第3は、事業・まちづくりをめぐっての行政・住民・専門家の関係である。行政側には,これまでの官治的な都市計画の体質がある。住民の意向より、国・県の意向が優先される傾向にあり、法定計画のかたくなさが表れる。他方、住民側には、さまざまな局面での行政不信や住民相互の問題等がからむ。こうしたなかで専門家の役割が問われた。私自身も、芦屋西部地区ではカウンタープランの作成を通して、住民サイドにたちながら、行政と住民をつないでいく専門家の役割を実践してきた。
 第4は、平常時のまちづくりの重要性である。震災という非常時のまちづくりを住民合意で進めていこうとすると日頃の地区のまちづくりネットワークこそ重要である。居住者が地区の危険度を正確な情報として知っていること、その上で将来のまちづくり計画が住民のものになり、区画整理等の事業や道路計画も基本的には合意されていることが必要である。しかし、平常時から情報を公開して、まちづくりへの努力がされ、周知を図っていても、いざ震災が起これば、「そんな計画は知らない」「合意するわけにはいかない」という事態がでてくるだろう。今回の震災後のまちづくりでも住民の参加は決して多くなく、時間の経過とともに風化もみられる。平常時の一般的な地区でのまちづくりへの参加の実態を考えれば容易なことではない。それでも平常時のまちづくりへの努力が重要なのである。
 最後に、第3の点とも関連するが、復興都市計画事業・まちづくりの過程・展開は予想以上に困難であった。筆者がかかわってきたまちづくり支援の地区でも道理をもって誠実に論議・協議し取り組んでいけば、最後には着地点がみえ、事業・まちづくりに結実していくと考えていた。努力にもかかわらず、多くの地区でことはそのように運んでいない。西須磨地区の地区レベルのまちづくり、淡路・富島地区の住民案の作成、新長田駅南地区での計画転換の問題などでそうしたことを実感してきた。その要因は住民側にも不十分な点もあるが、行政の官治主義、事業主義に負う部分が大きい。
       
 

これからも継続研究に努めていきたい
 震災から10年という区切りの年に、私自身の研究も、石川賞という一つの区切りを迎えることができた。しかし、震災から復旧・復興の全過程において、多くの課題が残されていることもまた事実である。都市計画分野の研究においては市街地の復旧・復興プロセスが長期間にわたるだけに、今後とも粘り強い継続研究に努めていきたい。


   最後ではあるが、私の研究・支援活動を支えていただいた多くの方々に対し、感謝を申し上げたい。私のこの10年間の活動は、多くの人との共同調査、研究、まちづくり支援の活動に支えられている。数多くの研究者と、被災住民の協力と支援なくしては実現し得なかったものであり、石川賞受賞という機会を得ることができたのも、決して私だけの力によるものではない。あらためて感謝の意を深くする次第である。
       

管理人:infoandomotoo.com
(c) Motoo Ando 2005